遊戯三昧  (ゆげざんまい)

思いのまま。何ものにもとらわれず。いま、ここに、あることに没入すれば、またたのし。

「今のほうが、全然いいやん。」

ひと月ぶりの更新になりますな。

この二か月ほど、年度末から4月までよく働き、

春風に誘われて花見に出かけ、

新しい課外活動も始め、

忙しくても、メイクはそれなりに念入りにしたりして。(笑)

で、身体がついていかなくっても、ドーピングで乗り切った。

(※高麗人参入りドリンクとかww)

 

‥って感じの怒涛のふた月だった。

仕事がひと段落して、ようやくGWだと思ったら、

ずっとここのところ、殺気立つか、逆ハイ(やや躁状態気味)だった気分も落ち着いてきたなかあ。

 

祝!GW!やっと休めるぞ!って解放感で、

珍しく、職場の同僚を誘って、

昨日は「ちょっと一杯」してきました。

 

f:id:mantaray888:20160430000926j:plain

 

 

同年代の彼女とは、けっこう共通点があって、

いろんな職種を経て、今の職場に流れ着いた40代同士であり、

また、単身赴任の旦那さんの代わりに父親役もしなくてはならない母として、

職場の人間関係となんかも、それなりに読めてしまったりもとか、

お互いに一言えば十わかる感じで、1時間ぐらいだったのだけど、

十分きもちを解放できたように思います。

 

じつは私、自分の10年前の写真を携帯待ち受けの一枚にしているんですが、

それは「気を抜くな。気を抜けば、オバサン街道まっしぐら。」という自戒を込めて、

また、34,5歳という年頃は、女の人生にとって、

身体的にも精神的なバランスの取れた年代だったと思っているので、

ある意味、自分史のなかの「ピーク」のひとつだたのかな、と思っていたこともあって、待ち受けにしてるんですね。

 

でもその一枚をみた彼女が、

「え!?今のほうが全然いいやん。」と

言ってくれたんですよ。

 

「え!?今のほうがイイ?」

と思わず、聞き返しました。

「そうやで。今のほうがシュっとしてて、かっこええやん。」

と彼女は言うのです。

(この言い方、大阪やろ~ 「シュっとして」て、まじ翻訳不可能やわ。)

 

なんかすごいサプライズで、嬉しかったのです。

「今のほうがいイイ」って 

完全に「今、あるがまま」の肯定ですもん。

 

「45歳、女性」ってどうですか。

人生90年とすれば、確かにまだ半分の折り返しかもしれません。

 

でも、日本の一般的社会通念として考えられてきた

「40代、オバサン」説。

それに、私もじつはじわじわと毒されていたのではないかしら。

 

いうなれば、それは女性を縛る、忌まわしい「呪い」のようなものです。

「女・40代」で何が悪い!

「女・40代」でなんか、遠慮しないといけないことがあるか?

 

何を言われてもいつもニコニコして、

上の人にも、下の人にも気持ちよく働いてもらえるように、気を遣って、

人が嫌がる仕事も、できる限り引き受けてさあーー

女終わらないように、がんばって小ぎれいにもして、

家帰ったら子どもの宿題とか時間割とか連絡帳とか見てさあーー

旦那には大して大事にもされず、苦にもされず、

空気のように扱われてさあーーー。

 

「それなのに、

なんでみんな、

がんばっている私をぞんざいに扱おうとするんだよ!!」

ていう怒りの感情が出てきそうなんですが、

 

でも、実はぞんざいに扱おうとしていたのは、

わたし自身。

彼女のひとことで、それがわかった。

やっぱり「40代だし‥」という遠慮や、

ものわかりよく、余裕を持ってふるまおうとしている裏側の自信のなさ、

それに、「もう女のステージは降りてますから」的な態度とか。

 

そのこと自体が、自分を貶めているし、

自分を卑屈にしてしまうし、

何より自分を愛していないんでは?

 

だけど「女・40代」、ほんとうは充実した、

実のある時季ではないでしょうか。

まだ体力も何とかなるし、知力・経験値も蓄積されているし、

種を蒔いて、育てた果実を刈り取る季節。

 

え、そんなの男の世界では当然だって?

そうかもね。

やっぱり、「女の値打ちは若さ」っていう

昭和な価値観を、頭では否定していても、

感覚的にひきずっているのかもしれない。

刷り込み、というのはやはりある種の「呪い」だ。

だけど、そんなもんは、気が付きさえすれば、解くことができる。

 

そのことに気が付いたなら、

人に大事にされたい、と思うなら、

まずは自分が自分を大事にしてあげないとねえ。

「ご自愛」、ってやつですね。

 そうしたら、人のことも大事にできるし、

人からも大事にされるんじゃないかしらねえ。

 

45歳が折り返し地点だとしたら、

そこは坂道の途中で、自分次第でどんな道も選ぶことができる。

坂道を転げ落ちるのではなく、

自分にあった道を選んで、

慌てなくてもいいから、ちょっとずつでも登っていって、

より高いステージとか、眺めのいい丘とか、きれいなお花畑でもいいし、

もっといいところにいくようにしたらいい。

 

こんな私を支えてくれる、家族・ともだち・職場の同僚・新しい仲間や

毎朝通るときに挨拶するお宮さんに、神様仏さまに、天にある存在に、

すべてに感謝します。

 

ありがとう。

これからも適当に思うがままにやっていくよ。

別に頑張らんでも、「なるようになる」から。

 

f:id:mantaray888:20160428222240j:plain

昨今の自撮りスマホ「美人エフェクト」、よくできているけどね。でもがんばってるやん!