ひとり、旅に出たくなる瞬間
一週間の海外出張は、日常の仕事の続きでありながら、
生活スタイルそのものは、別世界でもある。
朝食ブッフェに始まり、打ち合わせの中華円卓、はたまた交通渋滞まで。
しかし、長いようで、結局いつものメンバーと、
いつもとちょっと違う偉い方々と一緒に、
あちらを訪問したり、こちらで裏方仕事をしたりしているうちに、一週間が過ぎた。
観光する時間は全くなかったし、
たまに一人で朝食を摂る以外はすべて円卓だったから、
ひとりきりになる時間は、実はほとんどなかった。
仕事を終えた帰りの空港。
そこでも、お土産買う時間以外は、ランチも上司と偉い方と一緒だった。
搭乗して、ようやくバラバラに。
偉い方はビジネスに。われわれは三々五々エコノミーに。
広州ー関空便は混みあっていた。
並び席がとれなかった外国人の家族連れに交換を頼まれたとかで、
親切なひとりの日本人が、その結果、私の横に座ることになり、
英語で「ここに置いてあるチケットはあなたのですか?」と私に聞いた。
やっぱ、中国人に見えたか、と思いつつ、
「いや、これ、もともと落ちてたんですけど。」と答えると
その人はちょっとバツが悪そうだったが、
なんとなく、「広州はお仕事でしたか」みたいな話になった。
その便は、満席だったけれど、
中国人の家族連れとか、騒がしい人は全くいなくて、
この機内は驚くほど静かだと、
三週間も広州に滞在したという人はいった。
私は、5日間だけの滞在で、常に日本人同士で仕事場にいたので、
静かなのは当たり前で、機内が静かなことに気が付かなかった。
中国にいながら、実は中国の空気にほとんど触れていなかったのだと、
その時、気づいた。
私は仕事の一週間の間、あちこちに気働きもしたし、
いろんな人に喋ることも多くて、言いたいことも言い過ぎたような気もするし、
この期に及んで、機内で隣になった知らない人相手に、
これ以上ペラペラ喋ってたら、ただの「躁状態のシャベリの人」になりそうな気もしたので、
なるべく黙っていようと試みた。
だけど、意外にも、ポツリポツリと話が続いた。
隣に座った人は、
3週間も広州で研修を受けていたこと。
泊まったホテルはよく聞けば、隣だったこと。
陸路で香港とマカオに遊びにいったこと。
研修で気のいいインド人がいたけれど、何言ってるか聞きとれなかったこと、等々。
私も、知らないうちに話をしていた。
(しないといいながら、基本おしゃべりだから。)
仕事は、政府の関係だったこと。
広東の人はフレンドリーでご飯がおいしかったこと。
広州は、じめっとしていて、うすら寒かったこと。
香港・マカオは正月明けに行ったこと。
子どもがトムとジェリーやひつじのショーンを見てばかりなこと、etcetc。
東南アジアに時々行くこと、住んでいた時の昔話。
一人で動くと、ご飯のとき、暇なとき、
地元の人やら旅人と、知り合う機会が多い。
なんとなく、
隣に座った人と、問わず語りが始まることがある。
一人旅、ああ、一人旅行きたいなあ、と思った。
それからまた、その人の子どもも、ひつじのショーンを見るのだとか、
アメリカ資本の勤め先は、ホテルのバカ高いクリーニングに毎日出させてくれるんだけど、その分、手当てをくれたらいいのに、とか他愛のないことを話しながら、機内食を食べた。
一週間も家を空けて遠くに来ていたけれど、
ご飯だけが中華料理で、日常は会社の延長だった。
その時やっと、個人が誰かと、旅の途中で知り合う感覚がよみがえった。
ああ、こういうのが一人旅だったっけなあ。
・・・一人旅、いいですねえ、一人旅。
スペインとかポルトガルとか、南欧なんかに行ってみたいなあ。
と呟いていた。
それからまた、私は十年前ぐらいの、一人旅の話をした。
それから隣の人は、
アメリカで航空機整備士資格を取るために、
一人、現地で暮らしながら、毎日誰とも喋らない生活をしていた。
ほとんど誰とも口を利かないまま、必死で資格だけ取って帰ってきた、
という話をした。
え、それは信じられない。
それはおしゃべりな私にはできそうにない。
ダイナーのおばちゃんでも誰でも捕まえて、
しゃべってもらわないとダメになりそう。とか。
それでも、一人旅いいですねえ、一人旅。
いったいいつになったら、また行けるのやら。
と、また言った。
知らない場所で、知らない人が、何をして、何を考えたのか。
そんな話を、旅の途中以外で、
初めて会ったばかりの誰かに、
簡単に聞く機会があるだろうか。
旅ではない、仕事の出張の終りの一瞬に、
一人旅に出たい気分だけを残して、
航空機は無事、関空に着陸した。
ありがとうございました。
また関空のラーメン屋かどこかで、
お目にかかることがありましたら、
旅のはなしでもいたしましょう。