私のルーツ(4) 二十にしてアジアにはまる
学生時代、ヨーロッパからの帰りに立ち寄り、
5日間の予定だった滞在を2週間にまで延ばしてしまうほど、
ティオマン島に一度ですっかり魅せられたのが
私とマレーシアとの出遭いでした。
ドイツのフライブルク大学の夏期講習からの帰りに立ち寄った、
シンガポールでのトランジット。
シンガポールから一日で行ける距離に、
南国の楽園があるらしい・・・
それがティオマン島でした。
シンガポールから双胴船(カタマラン)で到着したときの、
あの信じられない海の青さ、透明度、ヤシの木の茂る夢のような光景。
ちょっとスノーケルで潜れば熱帯魚の群れが舞い、
簡素なビーチハット(小屋)は本当のビーチフロントで、
寝ていると、まさに「枕の下に」波の音が聞こえたものです。
朝起きて、バナナパンケーキと練乳入りの甘いコーヒーを飲み、
何もすることもなくぶらぶらしていると、
すぐに宿のお兄ちゃん、隣のレストランのスタッフ、
ダイビングショップのスタッフらと話が始まります。
どっから来たんだ、いつまでいるんだ、何して遊ぶ?
ダイビングは?彼氏はいるの?マレーシアは好きか?
ティオマン島はいいところだろう?etc、etc。
島の道は海岸沿いの一本道のみで、
当時は宿も数えるほどしかありませんでした。
そのへんを歩いていれば、1日で誰がどこに泊まっているのか、
すぐに顔が知られてしまうような環境で、
こちらも誰がどこの人かわかってくると、
なんとも居心地がいいのでした。
泳ぐのに疲れたら、砂浜の木の間に吊るしてあるハンモックで昼寝。
夕方になったら、スタッフも観光客も入り混じって、バレーボールして、
その後、知り合っ た他の客とご飯を食べて、
そのうち仕事が終わったスタッフの連中も
一緒にビールをあけている・・・
なんていうお気楽な島でした。
そのうち、宿のお兄ちゃんやその家族と仲良くなって、
彼ら家族の家の中まで遊びにいくようになりました。
マレー人の大家族で、オーナー夫妻と子どもたち、
5人兄弟姉妹+その他親族が一緒に宿とレストランをやっていて、
兄弟姉妹は学生だった私とちょうど同じ年頃。
仲良くなった姉妹にマレーの習慣について、
「女の子がトイレで紙を使わないって、どうやるの?」とか聞くと、
「水でぴっぴ、とふくのよ!」なんて教えてもらって驚いたり、
島には高等学校はないか ら、
東海岸のMersingに下宿して学校に通うんだ、
というような話を聞いたことも新鮮でした。
マレー人の家の中に入れてもらう、
というのは本当に異文化体験そのものでした。
「長男の嫁さんは、中国系なのよ」なんて話を聞いて、
へ え、マレーシア人でも民族が違うんだ?と
当時は何の予備知識もなかったので、不思議に思っていました。
2週間の滞在の間に、ダイビングライセンスを取り、
エメラルドの海を堪能し、
(なんといっても、講習の時から目の前のビーチで熱帯魚三昧
という贅沢なスクールでした!)
そして初めて滞在した島で、
「まるで家族」みたいな体験をさせてもらい、
夢のような日々を過ごしました。
そして2週間後、別れを惜しみながら、
大学が始まってしまっていた日本へと帰りました。
次のハリラヤにはまた帰ってくるよ、と思いながら。