遊戯三昧  (ゆげざんまい)

思いのまま。何ものにもとらわれず。いま、ここに、あることに没入すれば、またたのし。

私のルーツ(3)海外にあこがれて ヒネた青春物語

はじめての外国へのあこがれは

ユーゴスラビアのスベティ・ステファン島だった。
 
社会科の参考書のカラー口絵に写真が載っていた。
今となっても、決して有名になっていないその場所が、
なぜ口絵に載っていたかは不明だが、
とにかくその色彩に憧れて、
寝ても覚めてもその写真を眺めたもので、
こんなマイナーな名前を今でも忘れていなかった。
 

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tabijikan.jp

(アマンのプライベートリゾートになってるってか?・・・うん、そのうち行ってみよう。)

 
学生時代はそれなりにアメリカ文化にも影響を受けたし、
映画見て欧米に憧れはあったけど、
どちらかといえばヨーロッパ文化が好きだった。
 
映画はハリウッドものより、
不条理なフランス映画、
音楽もアメリカンロックより、
翳りのあるブリティッシュが好み。
 
若い頃は、いろんなことにイメージで憧れた。 
そのひとつが、「ノエビア化粧品」のCMで見た「ドイツの黒い森」シリーズ。
黒い森の上空を、空撮で見せていくのだけど、その田園風景と森の豊かなこと。
30年前の映像を今も見られるなんて、Youtubeすげえ。
 
 
その頃、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城にも憧れていたわ。
狂王ルードヴィヒ二世、音楽と城に破滅的浪費を繰り返し、
身を亡ぼしたという、「嗚呼、デカダンス!」ですわ。
(でも、実際行ってみたら 「浦安のねずみー城」ぽかったのはひみつにしておくわ。)
 
そんな色々の憧れもあって、
留学したい!と思って、
英語を一生懸命勉強しました。
あの中高時代の必死のパッチの勉強がなかったら、
たぶん今の私はない、と思う。
そんなわけで、留学は英米語圏に行こうと思っていた。
 
で、留学機関のテストを受けたら、
イギリスでもアメリカでもなく、
「あなたはドイツに行きなさい、」と言われたのだ。
え、ドイツ?!ドイツ語なんて知らないよ。
イッヒリーベディッヒ、バームクーヘンぐらいしか。
でも、「どうせ英語だって皆しゃべれないんだから、
どこの国へ行っても、
しゃべれるのに最低半年はかかるのです。」
とか説得されて、
私は高3でドイツへ一年行くことになったのであります。
 
ドイツに着いてみたら、夏の空気は乾いているし、
オリエンテーションの間は古城ユースホステルに泊まったり、
みんなマジでハムとチーズばかり食ってたり、
みんな エホエホ イヒイヒ ドイツ語ばっか喋ってるし、
ほんと夢の世界みたいだった。
 

f:id:mantaray888:20160227012312j:plainhttp://wadaphoto.jp/ よりお借りしました。お見事。ローテンブルクの町並み。

 

初めて飛行機を降りたフランクフルトには、
高層ビルはあったけど、
東京のように、地平線まで続くような
ゴミゴミした街並みはなかった。
あったのは、レンガや石畳の街並み。
すごく不思議だった。
ドイツだってヨーロッパの大国なのに、
経済の中心地フランクフルトのビル街は
銀座ほどの大きさもなかったのだから。
(という印象だったけど、今はどうなのかな?)
 
それがドイツの地方分権ということなんだけど。
そんなこと、当時の私は知る由もなく。
 
まだ東西の壁のあったベルリンや、
東ドイツのトラバントという段ボールでできたクルマ見たり、
バイエルンのおとぎ話のような村々や、
ハーメルンの笛吹の舞台の町とか、 
旅好きのホストファミリーのお陰で
ずいぶん色んなところに連れて行ってもらった。
 
だけど、高校生活のしょっぱなは辛かった。
ずっと優等生できていたのに、
ドイツ語会話はできないし、
文系だったから、理数もできないし、
ピアノも弾けないし、スポーツも苦手。
いいとこ何もないじゃん。
そうなると、
単なる「アジアからきた何もしゃべれないチビのバカ」。
 
しゃべれない奴とは、誰も友だちになんかなってくれない。
日本に来る留学生みたいに、外人だからって
チヤホヤされることは一切なし。
2歳下のクラスに入ってたけど、みんな見た目も大人びててさあ。
半年間ぐらいずっと、ほんとに「チビのバカ」扱いだったんだから。
 
得意だった英語を受けたら、ドイツ語と英語が混ざり合って、
エッセイなんて書けないし、Bしか取れない。
しまいには「こいつらにとっては、英語なんて兄弟言語じゃないのさ。フン!」
とかひねくれるしかなかった。
 
それで、つまんないし、ドイツでは16歳からOKの煙草を学校で吸ってた。
しゃべれないから、煙を吐いて吸うのよ。カッコつけられていいじゃん。
だって、チビでバカのアジア人でも、17歳だったからドイツでは合法だったの。
ちゃんと学校に喫煙室があるんだから。
 
言ってることは何となくわかった頃に、
歴史の授業を取っていて、
順番にあてられるところ、すっとばされたのは非常に悔しかった。
そら、どうせ
「第二次大戦の終盤に、ヒットラーに代わり、
あなたならどのように政局運営したか?」
なんて答えられる訳ないけど。だけどさ。一応当てろよ。
今でもその女教師、フラウ・シュトレイロウの名前を忘れていない。
 
かと言って、悔しいからドイツ語を死ぬほど勉強したかというと、そうでもなく。
学校から帰ったら、部屋にこもって日本の友だちに手紙ばかり書いていた。
 
数えたら、10カ月で200通ほどの手紙とハガキを家族友人に送っていた。 
多分、こうしてブログとかを書くのが苦にならないのも、
その頃のひたすら日々の出来事をつづる体験があったからだろうな。
 
 とまあ、素敵なおとぎ話の国、
「西ドイツ」で経験したのは
優しいホストファミリーとの美術・旅三昧の日々と
優等生が初めて地に落とされた「チビ・バカ」挫折体験でした。
 
高3の夏休みに、もとの高校に復学したんだけど、
すでに同級生は半年前に卒業していて、友達もほとんどいないし。
どうせあと半年で卒業だし、無理に友だちつくらんでもええわ、みたいな。
教習所に通って免許取ってたんだけど、
「きしもとさんって、教習所でタバコ吸ってる」とかって
噂になってたわあ。
 
あははははは
ちょっとヒネてました、17、18の頃。
 
こんなに克明に思い出して綴ってみたのは初めてだけど、
こうしてみると、ちょっとは陰翳のある青春時代になったというわけね。
 
ま、それまでが能天気すぎたから。
これぐらいで、ちょうどよかったのかも。